エー・プラネット震災日記(3月11日)

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twitterでつぶやいた東日本震災被災日記まとめです
松崎とりあえず無事です
2011年3月11日 20:08:29 Keitai Webから

震災当日つぶやけたのは上1行のみでした。(以下は4月になってから書いています)
地震発生時、アパートの2階に居て、ラジオから緊急地震速報が流れてきたので、いつもの震度5くらいかな、ととりあえず、PCをスタンバイ状態にしました。そして脱出用に、ドアを開けにいきました。ここまでは、これまでの習慣になってました。
「次、大きいのが来たら間違いなく倒壊するよ」と友人に言っていたほどの、地盤が悪く、築30年超のモルタルアパートの2階ですが、これまでは、震度5くらいでも、なんとか持ち堪えており、停電になることもありませんでした。
ところが、この日は一度収まったあとに、強烈な横揺れに揺さぶられ、今まで倒れたことのない、隣の部屋の本棚が倒れ、冷蔵庫の上のトースターが吹っ飛びました。ついて、天井の照明が落下。頭上とずれていたので、助かりました。
その後もすぐには揺れは収まらず、テレビの震災体験実験のような、バランスを取れない激しい揺れで、抑えていたパソコンも激しく左右に触れました。そして停電。棚のものは吹っ飛んで、自分もイスから落ちそうになりましたが、なんとかこらえました。
しばらくすると、ガスの臭いが漂ってきました。ガス漏れか、と思いつつ、あまり焦りませんでした。貴重品をとにくかく詰め込んで、窓から下を覗くと、階下のプロパンガスボンベが、鎖でつないでいた壁を引きちぎって倒れており、蒸気のような白いガスが、シューと漏れています。
まるで映画のようです。何か現実感がないまま、なんとか外階段をおりて見ると、3本のブロパンボンベが倒れて、ガスを放出しています。ああ、ここで爆発したら、死ぬなと夢の中のように思いました。アパートは壁3面のモルタルがはがれ、中の木が露出、上部にはあちこちに亀裂が入っています。階段も本体から離れているところがあって、そろそろと降りました。
すると、近所のおじさんらしき人が出てきて、ボンベの栓をなんとか締めようとします。私は、すぐ逃げたかったのですが、こうされては、仕方ありません。ホースの分岐点近くから噴出してるので、どこをどう締めたらいいのか、二人とも分らなかったのですが、おじさんがなんとか探りあてて締めてくれたので、ガスは止まりました。あの方が居なかったら、どうなったか分りません。
しばらくすると近所のアパートからも若者が数人道路に出てきました。「仙台空港が水没した」「津波が来た」「震度7らしい」などと教えてくれました。近所のマンションから出てきた女の子は。素足にサンダルで、ぶるぶる震えていました。初めて、近所に、少なからず若者がいることを知りました。そして、急に雪が降り出しました。「地震と関係あるらしい」
携帯電話は、つながらず、メールだけ送れたので、家族に短くメールしました。しばらくするとメールも送れなくなりました。
その後も、道路がぐらぐらするとほど、余震が激しかったので、道に、しかたなくたむろしていると、ひとりの若者が、「あのじいさんは大丈夫か」とアパートに一軒一軒、声をかけて回り始めました。急に、みんなが協力体制になりました。手分けして声かけました。その後も、余震が激しかったので、アパートには戻る気にはなれず、雪の中、外にずっといました。
またしばらくたつと、町内会の人が来て、保育園の子供たちを避難させる場所が必要、ということで、最初は近所の集会所側にあるテントを張るという話でしたが、あまりに寒いので、集会所の中の散乱物を片付けて、子供が入れるようにしました。
ここでも若者たちが、率先して働きました。アパートにはもう住めなくなって、がっくりきましたけど、若者たちの行動に救われた気持ちになりました。その後、5時過ぎた頃に、丁度見回りに来た消防の人にガスボンベを託すと、親戚の家目指して徒歩で避難を開始しました。