今から約250年前の江戸時代、伊達藩吉岡宿であった実話に基づいています。
貧困と賦役ににあえぐ宿場町を救うために、商人(農民でもある)達が私財を投げ出して、千両もの金を集め、藩に貸して、その利息で村を救い、しかも、その功績を自慢すること謹んで、子々孫々まで秘密にするという、驚きの話です。
原作は、歴史学者磯田道史氏の「無私の日本人」にある、吉岡宿の酒屋「穀田屋十三郎」を中心としたエピソードですが、映画化に向けて、原作には無い、煮売り屋の女将(竹内結子=中村映画の常連)など架空の人物や、殿さま(伊達重村=羽生結弦)の登場、など脚色はあります。
しかし、この物語の核である、江戸時代、町民、農民にまで広がっていた、驚くべき「無私」の精神=私欲を捨て地域のために私財を投げ打つ事を徳とする、そして、その善行をひけらかすことを、個人のみならず代々の「恥」として、最も忌み嫌う精神性の部分は、しっかりと描かれています。
しかし、この物語の核である、江戸時代、町民、農民にまで広がっていた、驚くべき「無私」の精神=私欲を捨て地域のために私財を投げ打つ事を徳とする、そして、その善行をひけらかすことを、個人のみならず代々の「恥」として、最も忌み嫌う精神性の部分は、しっかりと描かれています。
ただ、元伊達藩の領に住まうものとしては、昔の伊達藩の悪政が、とことん描かれるのは、いささかバツが悪いところがありますがw、そこは、原作にもあった、こころある代官の存在と、伊坂幸太郎作品を多数、映画化している中村監督が、仙台人にも通るように、殿様の反省という話を入れて、なぐさめてくれます。
さて、映画のCMや原作では、穀田屋十三郎(阿部サダヲ)や管原屋(瑛太)が主役の扱いなのですが、この映画では、それに劣らないくらい、大肝煎(おおきもいり:大庄屋のようなもの)を演じる千葉雄大君(仙台三高出身)が、かなり重要な役回りとして、登場します。
正直、イケメンではあるが、江戸時代にはいないような童顔で、長ゼリフに、口が回り切れていない感じも無くはなくいですが、懸命さは伝わってきて、それが、役どころと相俟って、この映画に、ただの美談ではない、「リアルさ」を与えているような気がします。
また、脇役ながら、大御所の山崎努、草笛光子さんなど大御所も、ぐぐっと要所を締めて来るので、感動が嘘っぽくなりません。
それに、あちこちで話題になっている羽生君(仙台出身)の殿様ぶりも、中々に嵌っていますね。加えて、ひさしぶりに見た、藩の財政担当(出入司)役の松田龍平の、感情を表に出さない武士の演技もいいですね。
さて、原作には、穀田屋十三郎の他にも、中根東里、大田垣蓮月と二人の「無私」の市井の人が、取り上げてられていますが、いわゆる著名宗教家以外でも、これでもかと、自分の人生をなげうって、人のために尽くす日本人がいたことには、感動を覚えずにいられません。
もう遅いとは思いますが、大臣室で得体の知れない現ナマを、ポケットに入れる事を恥じることがない公の元トップとか、公私混同をステータスと勘違いする現巨大都市のトップなど、日本人の精神を忘れた政治家の皆さまにも、是非、原作を読み、この映画を見て頂きたいものですw