熊谷達也著『無刑人 芦東山』(むけいびとあしとうざん)を読みました。
広告にあるように、江戸中期の仙台藩で、学者として取り立てられ、藩主吉村からも一目置かれる存在となりながら、ある理由で、24年間も幽閉されるも、その間に、師の願いである、法学書を書き上げた、異色の人物の半生記です。
学者の半生というと、地味だな、と見てしまいそうですが、なかなかに波乱万丈の生き様。
気持ちいいばかりの石頭、理論派ぶりと、周囲の困惑が、生き生きと描かれています。
そして、経済が発展し、文化爛熟の江戸中期では、たとえ農民出身でも、裕福な家では、教育を受けており、それを糧に、藩お抱えの学者(侍)として、取り立てられる事もあるという、意外なコースがあったという事情も興味深いです。
以下ネタバレあり。
「きもいり」農家出身で、幼少から僧侶などから、漢学などを学んだ「天才」で、その才能を認められて、仙台藩の学者の弟子となり帯刀も許され、京都・江戸などに留学して、藩の儒学者として、仙台藩主吉村まで認められる存在となります。
武士として藩に仕えながらも、「聖人」政治を唱え、あまりの直言のため、40過ぎで、他家預け(軟禁)される事、24年間。
そこから失意の中でも、江戸で学んだ師である室鳩巣の遺言に従い、罰ではなく、画期的な教育刑を唱える法学書『無刑録』18巻を執筆して、ついには完成。ようやく許されて自由の身になったのは、66歳。
そして81歳まで、当時としては長寿で生涯を閉じた。知られるざる学者の半生を描いています。
まあ、とにかく読者をハラハラさせる、お上をお上とも思わぬ直言ぶりで、無礼打ちに何回もあっても仕方ないような、身分を弁えぬ理論派ぶり。
藩主の覚えもめでたいという事で、周囲の嫉妬も買います。
さらに、幕藩体制の支配構造、士農工商の身分制度を、朱子学の観点から、ぶち破るような事を次々言ってしまうので、いくら正論でも、殿様もかばいきれません。
著者の解釈としては、言いたい放題に放っておくと、藩秩序維持の観点から、死罪にせざるを得なくなるので、幽閉にして、仙台から遠ざけるしか、なかったのでは、というところのようです。
そういえば、ちょうど大河ドラマでもやっている渋沢栄一も、(裕福という点はあるが)農民出身でも、論語からの発想・行動力を評価され、幕末から明治まで、藩経営や新政府の経済政策に携わっていました。
さらに、渋沢は、今日まで続く、主要な民間企業500社も立ち上げたという凄い人ですが、芦東山も、藩レベルではありますが、上級武士の出でもないのに、漢籍の知識を元に、藩主に進言するまで認められています。
農民出身の一学者が取りたてられ、藩や国の政策にまで影響したという、意外な江戸時代の教育の広がりや、人材登用の柔軟性が、実に興味深いです。
参考:「芦東山記念館」(一関市)